2016-01-01から1年間の記事一覧

岡崎武志が書けない大阪時代

ブラケットの同人の内輪で、小馬鹿にされていたと、今なら言えます。 「そんなことを知っているはずがない、わかるはずがない、女子供はおとなしくしていろ」 そういう空気が満ちていました。 手塚治虫の特集のための座談会に「ぶらけっとで漫画を描いている…

岡崎武志が書けない大阪時代

同人誌「ブラケット」に所属していた、つまり茨木東高校で教師をしていた頃。私はその高校で漫研にいた卒業生でした。ある日、岡崎に「ぶらけっと」で漫画を描かないかと誘われた。 そこでは、人間としてバカにされたことも多かった。知識や行動、果ては着て…

岡崎武志語録

(私が「車窓」という言葉を使った際)普通、そういう使い方はせえへん。

岡崎武志語録

(私の母が岡崎武志の所へ出向いた際に)「なんなら責任とりましょか〜?」

岡崎武志語録

(ブラケットの同人の編み込みした三つ編みの髪型の女性が退席した後)30で三つ編みする女は気持ち悪いやんなあ。

「松村のところには殴り込みに行ってやったからな」

私は、村岡眞澄の友人、ブラケットの関係者でもある、大阪の印刷会社の社長の松村信人(現在は澪標社)を就職先に紹介されました。 会社に挨拶へ行くと、色々なところに連れ回され、お好み焼きを食べに。その後「いい店を知っているから」と、バーへ。勧めら…