岡崎武志が書けない大阪時代

同人誌「ブラケット」に所属していた、つまり茨木東高校で教師をしていた頃。私はその高校で漫研にいた卒業生でした。ある日、岡崎に「ぶらけっと」で漫画を描かないかと誘われた。

そこでは、人間としてバカにされたことも多かった。知識や行動、果ては着ている洋服や聴いていた音楽まで、全く相手にされていなくて、むしろ蔑まされていた。秋津久仁子には特に、露骨に嫌なことを言われた。私の好きな俳優、ドニ・ラヴァンを「ジミー大西やん」と。詩集の出版のお祝いに、フラットフェイスのアルバムをテープにダビングして贈ると、家で聴いて気に入ったのだろう、お礼の言葉もなく「レコード番号を教えてくれ」とだけ。

「ぶらけっと」の面々には、えてして教師づらして対応された。

描いた漫画にまで、あれこれ口を挟む。「こういうのを描けばいいんや」「こんなものは迷惑だ」…同人誌だというのに…

(つづく)